彼らはどんな思いを胸にJリーグのピッチに立っているのだろうか。第2回はJ2のFC岐阜で抜群の存在感を発揮するスペイン人MFシシーニョのJリーグへの憧れに迫った(不定期連載です)。(取材・文:舩木渉)
◆Jリーグとの出会いは3年前。福岡がお気に入りに
「こんにちは! あなたとコンタクトを取りたいのですが、僕はどうすればいいですか?」
これを読んでいる皆さんは覚えているだろうか。2016年9月のこと、ある1人の外国人選手が当時J1のアビスパ福岡にツイッターでラブコールを送った。
シシーニョ・ゴンザレス・マルティネス。
スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州のアルバセテ出身で、“シシ”という愛称で知られている。
U-17スペイン代表時代にはダビド・シルバ(現マンチェスター・シティ)やセスク・ファブレガス(現チェルシー)、
ホセ・マヌエル・フラード(現エスパニョール)らと共にU-17世界選手権準優勝を経験しているMFだ。
バレンシアの下部組織時代にはスペイン最高の才能と称賛を浴びた小柄なコンダクターは今季からFC岐阜に加入し、「シシーニョ」という登録名で早くもチームの中心の1人として活躍している。
本人曰く「念願叶って」のJリーグ移籍はいかにして実現したのだろうか。
「スペインにいた時、日本人の友だちがアビスパ福岡のファンだった。それで3年前からアビスパ福岡の試合を見始めて、チームの動向を追いかけていたんだ」
いまから3年前、シシーニョはスペイン1部のオサスナに在籍していた。その年の夏、所属クラブは1部から2部へ降格してしまうのだが、
当時日本で販売されていた欧州サッカーの選手名鑑に名前や写真が載っているほど実績のある選手である。そんな彼はアビスパ福岡のファンになった。
その後2015年の後半は韓国2部の水原FC、2016年はポーランド1部のレフ・ポズナンとギリシャ1部のヴェリアで半年ずつプレーし、今年念願のJリーグ移籍を叶えた。
福岡へのアプローチは実らなかったが、どういった経緯で来日を実現させたのだろうか。
「日本でプレーしたくて、『Jリーグに行きたい!』と代理人に話しをしたんだ。そうしたら彼が日本の代理人やクラブに連絡をとってくれて、オファーをもらえた。その時は本当に嬉しかったね」
シシーニョはFC岐阜加入後、すぐさま主力に定着した。身長168cmのMFは、Jリーグのピッチでも小柄さが一際目立つ。基礎技術のレベルが高く、簡単にボールを奪われない。
両足から繰り出される高精度のパスはJ2のレベルを飛び越えて、世界基準を示してくれる。
>>2以降につづく 全文 フットボールチャンネル 4/28(金) 7:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170428-00010002-footballc-socc&p=1
1986年4月22日にスペインのアルバセテで生まれたシシーニョは、3歳の頃に父親と一緒にボールを蹴り始めた。
これが彼のサッカーのルーツだという。15歳で名門バレンシアの下部組織に入団し、同期のダビド・シルバらとともに活躍。U-17スペイン代表での世界選手権準優勝など世代別代表で豊富な実績を持つ。
U-21スペイン代表時代のチームメイトには、ジェラール・ピケ(現バルセロナ)やファン・マタ(現マンチェスター・ユナイテッド)、ハビ・マルティネス(現バイエルン・ミュンヘン)、
ナチョ・モンレアル(現アーセナル)ら錚々たる面々が名を連ねていた。シシーニョはその中で背番号7を与えられた不動のレギュラーだった。
一方でプロ選手としてのキャリアは苦難の連続だった。バレンシアを退団してレクレアティーボに新天地を求めた最初の年、2008年にはA型肝炎を発症。2ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。
さらに翌2009年、2部へ降格したレクレアティーボを退団してバジャドリーへ移籍したものの、10月に腓骨の亀裂骨折で8ヶ月ほどの長期離脱を経験。2012年には右ひざの内側側副じん帯を痛めて手術を受けた。
2013年6月に復帰したものの、同10月に今度は左ひざの前十字じん帯断裂を負って8ヶ月間ピッチを離れた。
病気や負傷による離脱は合計600日を超える。ユース時代の輝きぶりを考えれば、決して順風満帆とは言えないキャリアを歩んできた。そんな折、シシーニョを魅了したのが福岡のある1人の選手だった。
「3年前から日本のサッカーを見始めたけど、城後寿がJリーグ最高の選手だと思った。(昨年9月に)チームに対してツイートした後、城後のユニフォームを買って、家に送ってもらった。本当に嬉しかったよ」
そして今、シシーニョは城後が所属する福岡と同じリーグ、J2に降り立った。3年前から願い続けた日本で喜びを感じながらプレーしている。
「日本の選手は優れたテクニックを持っているし、頭がよくて、ハードワークできる。一緒にやっているとゴールを決められる気がするんだ。
今はすべてがうまくいっている。全員が勝利を欲しているし、僕自身も日本でとても幸せな気分でプレーできているよ」
◆シシーニョが対戦を心待ちにする2人
日本語も半年ほど前から勉強し始め、今ではひらがなとカタカナを読めるというシシーニョ。
笑顔で「うまく読めてるのかはわからない」と言いながら、「チョット、チョットニホンゴ」と勉強の成果を披露してくれた。
岐阜は開幕戦から5試合勝ちなしという長いトンネルを抜け、第6節のFC町田ゼルビア戦での初勝利から4試合負けなしを続けている。
シシーニョは背番号6のユニフォームをまとい、ここまで9試合すべてに先発フル出場とすでにチームの柱となった。
まだシーズンは序盤で、これから対戦を楽しみにしている選手たちもいる。1人は“One of the best”と称した、福岡の城後だ。
「城後には僕が持っているユニフォームにサインを書いてもらいたいんだ。対戦した時に頼んでみようと思っている。もちろんピッチの中では試合に集中し、全力で勝ちにいくけどね。
ユニフォームを交換したいとかではないんだ。試合の前でも後でも、サインさえ書いてもらえればいい。試合には集中したいからね」
昨年購入した福岡のユニフォームを持参して城後に対面するのを心待ちにしている。城後のことを話すシシーニョは、1人の無邪気なサッカー少年のようだった。今季最初の岐阜と福岡の対戦は7月1日に予定されている。
もう1人、対戦と再会を楽しみにしているのがV・ファーレン長崎のスペイン人MFミゲル・パジャルドだ。バレンシアの下部組織で同期だった2人は、世界選手権で準優勝した時のU-17スペイン代表でもチームメイトだった。
シシーニョは来日するにあたって、すでにパジャルドとコミュニケーションをとったという。「代表で一緒にプレーしたのは2、3試合だったけど、いいチームメイトだった。
そういう選手とまた同じ場所でプレーできて嬉しい。同じスペイン人だから、わざわざたくさんのことを話す必要もないよ。とても良い選手だし、また同じピッチに立ちたいね」と語る。
パジャルドはまだ1試合12分間しかプレーできておらず、シシーニョほどの存在感を発揮できていないが、岐阜対長崎は5月21日に予定されている。もうすぐかつての戦友とピッチ上で再会できるかもしれない。
「今季何人かのスペイン人選手や監督が日本に来ているのは、とてもいいことだと思う。彼らのことなら何も心配はいらない。僕もピッチで戦う以上は特別気にすることなく戦うよ」
写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20170428-00010002-footballc-000-view.jpg
ハリウッドアクション映画で悪党に追いかけられて攻撃受けまくる車の運転手させられる顔だな
的確だな
こいつ一人で試合が変わる
城後が対戦までにスタメンに戻れるといいけど
なるほどね
小野と一緒だな、これやったらスポーツ選手は二度と当時のパフォ^マンスに戻れない
何でこんな所でプレーしてるだ?って思う。
あのゲームメイク能力ありゃ、ブンデスとか余裕じゃん。
体は多少強い気がするけど
J2には城後よりいい選手は結構いるだろ
イニエスタやシルバやセスクも将来的に日本で見れるかもしれんのになあ
中華マネーでもイニエスタは無理だったわ
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1493351739/
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